2023年9月はここ
10月1日(日)「883kmのドライブ旅行が終了・・・の風さん」
6時前起床! もう信じられない早起き。自宅にいると怠惰な生活へと流れていくのだろうか。
部屋(8階)の窓から外を見たら、駐車してあるキャメロンが見えた・・・ま、それはともかく、天気予報通りに昨夜は雨で、現在、傘が必要なほど降っているのか確かめたかったが、人っ子ひとり歩いていなかった。
7時に宿の朝食を摂りに行ったら、もう食べている仲間がいた(笑)。早。今日は、洋食で軽くすませることにした。
佐久大会2日目は、全員がバスで移動しながらの見学会となる。ギリギリまで仕事をしようと頑張ったが、英会話の勉強はできず。だめな奴。
雨は上がっていた。しかし、青空は見えない。ほとんどの荷物をキャメロンに入れて、身軽になってバスを待った。
最初は、天台宗の由緒ある明泉寺の算額。石段がきつい。住職さんが長い歴史物語を話してくれた。こういうお寺はこれからもずっと残ってほしい。二つ目は、明治初期にできた洋風建築の学校「中込(なごみ)学校」。こういった洋風建築学校は全国にあるそうだが、ここのは最も古い。当時は田舎のまさに田んぼの真ん中にできた建物で、西洋を知らない古老は腰を抜かしたろう。三つ目は、八幡神社の算額。長野県現存では最古となる。ここもとんでもなく歴史が古い神社だった。人の一生がちっぽけなものに感じられる。しかしそれは、時間の長さだけを言っているのであって、生きている間におこなう人間の営みは、尊くかけがえのないものだ。大切にしなければならない。
途中で何度も雨が降り出し、こんなことならキャメロンなら傘を持って来るのだったと思ったが、こういった愚かさも歴史からみればたいした問題ではないのだが、人間はあっさりと後悔したりするから滑稽だ。
家路についた。一般道を1時間走っても高速のインターにたどり着かなかったので、道の駅でざるくるみ蕎麦というのを食べた。やはり自宅へのお土産は信州の蕎麦にしよう。
中央道の途中のサービスエリアで1時間くらい昼寝した。さすがに疲れていたのだ。昼寝で元気が出たのだが、その後、工事渋滞が2回あって腹立たしかった(ああ、人間は愚かなり)。
午後8時前に帰宅できた。4日前に出発してから883km走っていた。やはり車の旅は楽しい。特に清泉寮が良かったな。
10月2日(月)「徹夜態勢に突入・・・の風さん」
旅に出ている間は、フェイスブックで近況をアップしていた。文章は短いが、写真を同時に提供するので、補える部分はある。
昨日の日記の最後に清泉寮は良かったと書いた。それは本当だ。一方、ワイフからは「清里駅へは行かなかったか?」と聞かれた。私の頭は、まだ前世紀で、書店で旅行ガイドブックを見れば、表紙に清里の文字は必ずあり、今もそうだと思っていた。まさか過去の遺物となっているとは知らなかった。もっとも行っても昔をよく知らないので、ちょっと不思議に思っただけかもしれないが。
観光地は景気の影響を受けることを、当地に住んでいて実感している。ブームというのもあるのか、と不思議な気がする。それだけ遊びに行けるところが多く、競争が激しいのだろう。インバウンドと言って騒いでいるが、外国人観光客の奪い合いが起きて当然なのかもしれない。
今日から講演スライドの作成に集中するので、あれこれやっている余裕はない。
とりあえず2つの急ぎの郵便物を作って、徒歩で投函に行ってきた。真夏の恰好で歩いてきたが、少し気温は下がり、日差しも弱くなっている。
講演スライドの完成イメージはできている。先週から少しずつ準備も始めていた。だから、あとはやるだけだと思い、リラックスして取り掛かった。
ところが、使いまわそうと思っていたスライドが、なかなかPCの中から見つからない。新しいスライドの作成も多いので、これにはちょっと足元をすくわれた感じだ。
晩御飯の時、ワイフから「明日の納骨式どうする?」と聞かれた。永代供養となっていても、共同の納骨室に入れることにはちゃんと対応しようと思っていた。しかし、講演スライドの作成状況から判断すると、今夜は徹夜になると思われた。何しろ、明日の納骨式は、それだけは短時間でも、実家のイベントとしては他にも色々やることがあり、ほぼ1日使うことになるからだ。
しかし、ワイフからは、そんな状態での参列はやめてくれと反対された。私は断念した。とにかく講演スライドを早く作って、レジュメも作らなければならない。
徹夜態勢に突入した。
10月3日(火)「今夜も徹夜?・・・の風さん」
夜が明けても、講演スライドはできなかった。まだまだ残りの作業量は多い。新しいスライドが多いのである。
限界を感じたので、シャワーを浴びて、8時半に横になった。
11時半に再び起き出した。睡眠は約3時間だった。寝ている間に、ワイフは実家へ向かった。納骨式は午後だが、向こうでも仕事が多い。
トーストの食事を終えて、昨日できなかった、某県の和算研究会の会長に電話をかけた。今回の全国和算研究大会佐久大会に、その某県からは参加がなかった。代表者会議で、某県のことが話題になったので、土地勘もある私がメッセンジャーとして様子を伝え、近い将来の全国大会開催を促すのである。
ミッションを果たすことができたので、すぐに関係者へ電話やメールで結果を伝えた。和算研究の火を絶やさず継承させるためには、根気のいる仕事がの積み上げが大切だと思う。
安心して、講演スライドの作成の続きに取り掛かった。
モチベーションは高く、PCの操作も慣れているのだが、なかなか完成しない。新しいスライドを1枚作成すると、使いまわそうと思って用意したスライドが1枚取り除かれるというのが続く。講演時間から用意するスライドの枚数の目標は決まっている。それをオーバーしないために、こういった状況になるのだが、つまり、新しいスライドが予想以上に多いのだ。新しいスライドは、今回の講演のメッセージで伝えたいことの裏付けデータとなる。だから、作らなければならないスライドである。
夕方、ワイフが帰宅した。納骨式は短時間で終了したが、実家の3人(母と姉妹)は満足したという。
晩御飯後は、昨夜の再現になった。ひたすら講演スライドの作成である。途中で時代考証も入って来るので、執筆と似た作業になる。妥協はできない。まさか『徳川実紀』や『寛政諸家譜』まで開くことになるとは思わなかった。ネットのブログは信用できないからだ。
おそらくペースダウンしているのだろう。今夜も徹夜は必至と思われた。
10月4日(水)「レジュメまでやっと完成・・・の風さん」
昨日より早く、6時に就寝できた。そして、11時起床。
こうなると、今日が何日なのか、すぐに分からない(笑)。
信じられないことだが、講演スライドは、まだ完成していない。
昨日と同様に、トーストだけの食事を終えて、先ずはルーチンをこなした。特殊雑務は今日も断念したので、さっそくスライド作成の続きに取り掛かった。
スライド枚数はほぼ目標を達成できた。そのうちの2割くらいは、目次だったり、次のスライドへのひと言コメントなので、もうこれ以上減らすのはやめた。次は、レジュメだ。高校の大先輩からレジュメの重要性を指摘されてから、毎回、何かしらの資料を作成している。今回は中学校の同窓生がチラシを作成してくれたので、それとだぶらないようにしようと思った。目標は2枚で、今回は講演の流れをテキストで追えるようにし、あと参考資料にする。ちくま学芸文庫『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』を購入すると見られる資料も除外することにする。
晩御飯後もレジュメ作成が続いた。やはり私はのろまなのだろう。
神田紅さんからメッセージをもらっていて、今夜のNHKラジオ第一「ラジオ深夜便・ミッドナイトトーク」に生出演するから聴いてほしいとのことだった。
これは聴かねばならない。久しぶりにSONYのラジオの電源を入れて、周波数を合わせたら、雑音もなく受信できた。当地はFMの電波は弱いので、このラジオをふだん使うことはない。
11時過ぎに番組が始まったが、レジュメはまだできない。放送では、学生時代の昔はながら族で、ラジオを聴きながら勉強していたとか、深夜組だったとか話している。紅さんは数学の問題を解きながらと話しているが、それはまったくその通りで、彼女は数学が大好きだったのだ。そういった下地がなければ、私との縁もなかったろう。私が世間に送ろうとしているメッセージ「人を文系、理系で分けてはいけない」を、彼女も地で行っているのだ。
午前1時に番組が終わるころ、レジュメ作成はほぼ完了した。紅さんの心にしみる話でずいぶん背中を押された気がする。あとは、事務局へメール添付で送るだけだ。
出発は明後日の早朝なので、ギリギリ間に合ったという感じか。やれやれ。
10月5日(木)「気まぐれ日記、次の更新は8日(日)の深夜・・・の風さん」
昨夜も英会話の勉強ができなかった。これは長期戦なので、少しでもやらなければいけないのだが・・・。
ついでに、早起きモードにシフトする必要もあったのだが、それもできなかった。
それでも、講演スライドがほぼ完成した安心感から、少しだけ雑務をやっておくことにした。
サラちゃんの自動給餌機の電源コードの取り回しが窮屈だったので、台を積み増しして、本体をかさ上げした。うまく行った。
インフルエンザのワクチン接種の予約が始まったので、かかりつけの病院のWebsiteから予約した。コロナもインフルも、感染する可能性は十分ある。問題は重症化しないこと。仕事がピンチの時は本当に困るし、へたをするとボケ老人の私は死んでしまう。
最後に、まともに対応していなかったメールを読んで返信することにしたが、やばい、簡単には終わりそうもない。とりあえず半分だけにした。
こうして、やっと旅行の準備に取り掛かった。問題は服装だ。先週まで猛烈な残暑で、真夏と同じラフな格好でよかったのだが、今週になってから、一気に秋本番になってしまった。Tシャツは論外で、半そでも飛び越して、長そでだ、上着も必要だろう。
旅行の準備が半分終わったところで、データをMacBookAirへ移して、チェック・修正に取り掛かった。これが意外と時間がかかる。
持って行く資料も準備したが、すべての準備はできなかった。まして、贈答用の拙著までは無理だった。
こんなことが、晩御飯の後も続いて、時間はどんどん経過していった。
今回は飛行機で往復するので、荷物はたくさん持っては行けない。空港でお土産も買う必要がある。だんだん目の前が暗くなっていった。
気まぐれ日記、次の更新は、8日(日)の深夜になる。どんな記録になるか、お楽しみに。
10月6日(金)「殺人的スケジュール・・・の風さん」
5時半起床。信じられない早起き。死ぬんじゃないか(笑)。
目的地の秋田は天候が暴風雨の恐れがあり、フライトが予定通りとは限らず、今朝の7時に運行予定が決まれば連絡するとのことだった。また、セントレアの混雑が予想されるので、早めに来港するようにというメールも昨日届いていた。
そういう事情で早起きし、6時半に我が家を出発した。7時には空港に着いた。スマホに条件付き運行の通知があった。出発時刻は8時5分である。これまでなら楽勝の到着時刻なのだが、どうだろう。
ANAからのメール通り、チェックインカウンターは大行列だった。荷物を預けるのを諦め、手荷物を2個にすることにした。と言うことは、お土産を買っても、新たな手荷物を増やしてはいけないのだ。すべてバッグに収まるように品物を選んで購入し、バッグはパンパンになった。
手荷物検査の前も大行列である。スマホのアプリでQRコードを表示させて中に入る方法を選んだのだが、そんなことは、この検査をスムーズに通る役には立たない。大渋滞でも手荷物検査は簡易化はされない。
搭乗口へ着くと、すぐバスに乗るように促された。そのバスが2台目で、次のバスもあり、出発は10分遅れた。セントレアは快晴だが、秋田空港が悪天候で着陸できない場合、引き返すこともあるとアナウンスされた。秋田の友人たちも心配していた。
秋田空港は、雨は小降りだったが、たしかに風が強かった。それでも、パイロットの見事な操縦で、スムーズに着陸した。拍手。
荷物の受け取りはなくても、レンタカーの貸し出しが混んでいて、空港出発まで時間がかかった。
とにかく3連休が始まる前日のため、人出が多いようだった。
明日の由利本荘市の講演場所まで行き、事務局と下見・打ち合わせを行なった。客とステージが近くて、私は安心した。
事務局の中の2人と一緒に、にかほ市の喫茶店へ向かった。恩人が経営する喫茶店で、何度か秋田へ来るたびにお礼の挨拶に伺うチャンスを狙ったのだが、果たせてなかった。今回、やっと実現するのである。
全く偶然だが、その恩人が川崎で勤務されていた時、課題図書になった『円周率の謎を追う』の執筆に関わってくれ、今はにかほ市にいるのだ。
海岸線を走ったが、獣のように押し寄せる波が、防潮ブロックで砕け、白く破裂する様は恐ろしかったが、美しくもあった。
手作りとこだわりの喫茶店は、驚くべきものだった。料理もオリジナルにこだわっていて、しかも美味だった。
ここに2時間ほど滞在したが、また来たいと思った。
続いて、にかほ象潟郷土資料館を訪ねた。事務局の二人も同行した。明日の講演の前に、昔と何か変わっていないか確かめたかったのだ。
学芸員の方が熱っぽく説明してくださった。展示してある資料に対する態度は、ご先祖様を敬愛する姿に似ていた。
そこから秋田市へ向かう途中の海岸で、荒れ狂う波を動画撮影した。
5時半にホテルにチェックインし、しばし休憩後、高校の同級会の飲み屋へ徒歩で向ったが、まさに暴風雨状態になり、傘の骨が折れた。
昨年の全国和算研究大会秋田大会を手伝ってくれたメンバーが揃った。
1年ぶりである。それでも、この1年の間に、それぞれ色々な出来事があり、情報交換は人生を感じるものだった。
通り道の秋田駅の改札口前に巨大ななまはげのお面があった。
10時ころホテルに戻ったが、ここまで何とか死なずにスケジュールをこなすことができたのが、不思議な気がした。
10月7日(土)「消えない不安・・・の風さん」
部屋の窓から外を見ると、雨模様だ。昨日が暴風雨だったので、いきなり回復するとは思えないが、今日が講演本番なので、集客に影響しそうで不安が脳裏をよぎる。
自宅にいる時と違って、朝食をきちんと摂るので、朝は早いし、老骨にムチ打っててきぱきと行動しなければ、その後のスケジュールに遅れも生じる。
今日のホテルの朝食は洋食に統一した。バイキング方式でも、量は控える。
部屋に戻って、出発時刻ギリギリまで、講演資料の読み込みをおこなった。講演は8月2日の異変(一過性全健忘)発生以来である。異変の再発防止策はないが、心身ともに安定状態にするしかないような気がする。
講演は午後だし、心身を安定にするために、出発時、ナビの目的地を、天鷺村(あまさぎむら)にした。そこは亀田藩の城下を再現した観光地である。講演の中で、亀田藩に触れる内容は少ない。講演の主題からそれは仕方ないことだが、六郷氏(本荘藩)、岩城氏(亀田藩)、打越氏(矢島三千石)の入部400年記念事業の一つの講演なので、少々うしろめたい気持ちもあった。せめて同じ事業に基づいて活気づいていると思われる天鷺村を、講演前に見学しておきたかった。
資料展示室の中に、講演で触れる亀田藩の8代藩主隆喜(たかひろ)の肖像画があり、学問好きのお殿様で、江戸で佐藤一斎からも学んでいたことを知ることができたのは有意義だった。ただ、展示室内は撮影禁止だったのは、残念だ。
相変わらず雨が断続的に降っていて、天鷺村の観光客がほとんどいない。自分の講演の集客がますます不安になった。
コンビニでサンドイッチを食べて、会場入りした。昨日下見もしているので、ここからの行動はなにごとも躊躇ない。自分の講演準備をしながら、八方に注意を向けて、すばやく対応する。案内していた方たちが来てくれたことは嬉しかった。
講演は途中に5分の小休憩を入れて、90分が予定されていた。私にとって最も話しやすい持ち時間である。後半が今日の講演の主張点でメインになり、前半はその準備というか予備知識の提供である。小休憩に入った時刻が想定していた45分経過した時点だったので、気持ちが楽になった。ところが、そこで後半は頑張るぞ、と意気込んだのが裏目になった。熱っぽく語りすぎて、時間を浪費した。あくまでも聴講者に楽しんでもらうというスタンスに徹するべきだった。終わってみたら、90分の講演どころか120分の講演になっていた。猛反省(しても遅いのだが)。
書籍の売れ行きは良かったが、それは販売担当の同級生のおかげだろう。控室から片付けが進む会場に戻ってみたら、ほとんどの聴講者がもう会場に残っていなかった。知人らにお礼を言い、感想を聞く機会を逸した。不安が増した。
場所を移して懇親会を設けていただいた。主催者と中学校の同級生が中心で、ほとんど身内である。一人一人に感想を聞きながら交流したが、不安は心のすみにくすぶっていた。
二次会は同級会で、いつものスナックで開催された。何度も会っている親友たちなので、楽しいに決まっている。しかし、楽しければ楽しいほど、確認できない多くの聴講者の感想が気になった。
そういった不安が原因の一つだったろうか。ホテルの部屋に落ち着くと、胸のポケットに入れていたはずのドライバーズグラスがなくなっていた。
10月8日(日)「目的はほぼ達成・・・の風さん」
今日は自宅を出発する時に決めていたスケジュールを変更していた。高校と中学の同級会の結果からである。
ホテルの朝食は完全に和食だった。生卵をとって、卵かけご飯にしたが、これは美味かった。今日一日のパワーにしたかった。
外へ出ると、青空から降り注ぐ秋の日差しがやや強い。晩秋を意識した服装で昨日まで行動していたが、今日は、これでは暑すぎるだろう。
中学の同級生二人の好意で、斬新なデザインの図書館、六郷氏の菩提寺永泉寺(ようせんじ)、郷土資料館を訪ねた。永泉寺では、昨日聴講に来てくださった副住職さんが迎えてくださり、講演が楽しかったと聞き、心が軽くなった。念のため講演会場にも寄って、ドライバーズグラスが拾得されていなかったか尋ねたが、それはなかった。昼食は、地元の美酒「雪の茅舎」を製造している斎彌酒造店(さいやしゅぞうてん)が運営している「田屋」というレストランに連れて行ってもらった。お洒落な建物で、料理も実に美味しかった。
午前中のスケジュールは中学の同級生からの提案で、特に永泉寺訪問はポイントだった。同級生は檀家でもあったし。
午後は、秋田の古四王神社(こしおうじんじゃ)へ向かった。ここは昨日の高校の同級生との懇談から必要性を感じたものだった。岩手県和算研究会の会長からも同神社の調査の希望を聞いていて、やはり事前に挨拶しておくべきだと思った。朝、神社へ電話して都合を確認したら、今日は境内の掃除をしているからいつでもどうぞ、とのことだった。宮司は高校の6年後輩でもある。
古四王神社を訪問するのは二度目だった。最初に社殿にお参りをしたが、境内を掃除しているのが、宮司夫妻のようだった。
立ち話で十分なので、調査の希望があることを伝えたら、宮司は笑顔ですぐ話し出した。昨年の全国和算研究大会秋田大会(の中の市民講座)や拙著『遊歴算家・山口和「奥の細道」をゆく』の影響らしく、算額はないかといって訪ねてくる人が何人もいたそうだ。その都度、ありませんと回答していたので、私への返事もスムーズだった(笑)。明治19年、市内川反で発生した「俵屋火事」が延焼し、社殿はもとより、境内の巨木もすべて燃え尽きて、古文書類すら焼失してしまったというのである。これにより、それ以前の、算額とそれに関係する資料はすべてなくなってしまったということだった。これは死刑宣告にも似た、絶望的な返事だったが、同窓会のよしみもあって、興味深い話もしてくれた。この夏、ある方からの古文書の寄贈があった。かなり長生きした旧秋田藩士が書いた随筆で、60巻もある。まだ宮司は1巻しか目を通していないが、さまざまなことが書かれているらしいので、何か参考になる記述があるかもしれない、見せても良いというのである。
社務所へ行き、第一巻だけ見せてもらったら、『幾何原本』(ユークリッドの著書で、マテオ・リッチが漢訳した本)という文字が目次の中にあり、該当部分を開いてみると、新聞記事を読んだ感想らしかったが、広範な興味・関心を持つ著者らしく、調査の価値はありそうだった。
後日、岩手県和算研究会の会長と一緒に来たいと伝えて、神社を後にした。
レンタカーを返却し、キャリーバッグをANAへ預け、空港の土産物店でいつもの嗜好品を購入し、混雑する前に手荷物検査も終えて、出発ラウンジでひと息ついた。なくしたドライバーズグラスは心に引っかかるが、ほぼ目的を達成することができた。
秋田と違って雨が降っているセントレアに予定時刻に着陸し、迎えに来てくれたワイフと空港で晩御飯を食べた。語るべき秋田での出来事はあまりにも多く、それに基づく次のアクションも多かったが、それらは明日からやろうと思った。
10月9日(月)「月初ルーチンの残り・・・の風さん」
昨夜就寝してから起床するまでに、寒くて2度もトイレに行った。天候は猛烈な残暑の9月からいきなり晩秋のような10月になり、私の体も生活環境も、それに対応できていないということらしい。気象環境変化への対応をした上で、日常を取り戻さなければならない。
とりあえずストレッチを復活。アレクサに天気を聞くと、20℃だと言う。室温も20℃だった。この程度で寒く感じると言うことは、老化現象に違いないあ。それにしても、出かけている時のように、てきぱきと行動できない。これが日常だと言えばそれまでだが、せっかく旅先で活動的な日々を過ごしたのだから、少しはペースアップしてもいいはずだ。
昼食はワイフが作ってくれて、日常に戻れそうだったので、食後、やり残していた月初ルーチンに取り組むことにした。いくらか気合も必要だったが。
レンジフードの掃除をした。これをやるときは、ミニコンボステレオを、ボリュームをかなり上げてかける。気合を維持するためだった。
続けて、屋外の小屋へ行って、伸縮タイプの梯子を持ってきた。2階の屋根まで届くサイズが必要だった。玄関の吹き抜けの上部の染みを取るためだった。この梯子を屋内で伸ばすのはなかなか大変だった。でも、そうしないと天井近くまで届かないのだ。ワイフには黙ってやった。うっかり宣言すると、危険だから止めろと言われるに決まっている。正論だが、私がやる方法はこれしかない。そのために購入しておいた梯子なのだ。
南側の天井付近の染みを取ることができた。来月初めに、反対の北側をやれば、年内に1階の染み取りは完了できるだろう。
ひと休み後、ルーチンに取り掛かったが、やけに疲労を感じる。疲労がたまっているというより、やはり老化による体力低下だろう、それが疲労感となって襲ってくるのだ。
その後は、だらだらと、きわめてのろのろと、つまり非効率的に旅行の片付けをしたが、はかどらなかった。
帰宅後、シャワーをやめて入浴にしたのだが、あっという間に午前3時だ。せめて気になるメールだけでも、と就寝前に2通だけメールを出して、寝室へ向かった。もうフラフラだった。やばい。
10月10日(火)「ゴキの毒えさの交換からAI翻訳まで・・・の風さん」
最初から寝坊するつもりだった。たっぷり寝て頑張るぞ、と朦朧とした意識の底で思っていた。
寝坊は達成した(笑)。問題は、このあと頑張れるかだった。
軽いストレッチとトーストだけのランチ後、ドラッグストアに買い物に行った。月2回のまとめ買いだ(当然バーゲンの日)。
帰宅してコーヒーを飲んでから、半年に一度のルーチンで、遅れていたゴキの毒えさ交換に取り掛かった。屋外用と屋内用の毒えさは、1か月も前に準備してあった。連結してある毒えさをピースに分割し、それぞれにマジックで年月を書き込む。これらは1年後に交換する。今回交換するピースには1年前の年月が書き込んである。効果が1年間で、半年ごとに半分ずつ取り換えるのである。
このルーチンを確立するのに、退職後5年以上を費やした。最初の5年間は自宅建物の随所にあるスキマを埋める作業に費やした。その結果、ゴキの出現は増加していった。屋外へ逃げる出口がどんどんなくなって行ったからだ。毒えさを設置する前に、燻蒸式の薬剤を何度も焚いたが、効果はあまり感じられなかった。並行して毒えさの選定と設置を繰り返していた。
建物の隙間がなくなり、毒えさはやっぱりホウ酸団子ベースだと気付き、屋外(床下と小屋)に設置する重要性を知ったことで、ゴキの出現は激減した。現在は、1年に1匹前後であり、出現したヤツは、毒えさを食べているらしく、たいてい元気がない(放っておいても干からびて死ぬのだ)。ゴキの出現が激減すると同時に、天敵の軍曹(アシダカグモ)を見かけることもなくなった。軍曹はゴキのいる建物に出没するのである。ゴキがいなければ、他所へ転進(軍隊用語)するか、退役することになる。
晩御飯後、大きな課題に取り組んだ。来年2月の英語での講演のタイトルの連絡である。
先ず、ベースとなる8月2日の異変が起きた講演スライドを再チェックした。次に、講演依頼があった研究所のホームページを読んで、私の講演が先方の希望にかなうか熟考した。大丈夫だと確信できたので、講演タイトルのベースは、8月2日の講演に決めた。
これまでの私は、英訳Websiteを利用して、やや違和感はあるが、英訳をし、自分の英語力で修正を加えていったものだ。大学院時代の英語の論文では、大野先生がチェックしたあとも、論文翻訳業者へ出して、有料で論文らしい英語に修正してもらった。会社で現役のときは、海外赴任経験の長い同僚と議論しながら、ビジネスに使える英語に修正していった。
今回は、初めてAIを活用することにした。AIは流ちょうな日本語を使うが、頭脳は英語である。日本語で質疑をしながら、英語の文章を修正していくのだが、相手は日本語が使えるネイティブだと思えばいい。
メインタイトルとサブタイトルの両方について、およそ1時間半にわたって質疑を繰り返した。特に、私が予想しなかった単語について、なぜ他の単語ではないのか、そのニュアンスを尋ねた。その結果、ネイティブの感覚を知ることができて、これまでのやり方ではたどり着けないような英語のタイトル案ができた。
私は満足し、講演依頼主へメール送信した。先方の要求でタイトル案は修正が加えられるかもしれないが、このやり方を手に入れたのは大きな収穫だった。
10月11日(水)「重要ミッションの後ヤフオク?・・・の風さん」
昨日より1時間早く起床。完全夜型から脱却するには、まだ日にちがかかる。
階下でルーちゃん(ロボット掃除機)が働いている音を聞きながら、徐々に起動していく(PCか?)。
トール教室のないワイフとランチ後、ルーチンをこなし、いよいよ今日のミッションに取り掛かった。最初は、全国和算研究大会長野県佐久大会から尾を引いている仕事だ。状況によっては、笠間へ出かけることになる。人とのお付き合いは大切なので、懸命に務めるが、能力の限界があって、中途半端になってしまうことが多い。能力を補う時間もお金も私には不足している。
次に取り掛かったのは、秋田へ行く前から引きずっているミッションで、これも状況によっては、また秋田へ行くことになる。肝心の執筆が停滞している中、あれもこれもやれるわけないのに、ついついパワーを割いてしまうのは楽しいからだ。性格と言ってもいい。
出さなければならないメールがまだあるが、夕方までで疲れてしまった。
晩御飯後、とりあえず英会話の勉強を復活させようとしたが、疲労感が抜けない。気になるヤフオクを見ていたら、ちょっと驚く出品があった。
お気に入りのカセットデッキが不調で、前々から自分で修理したいと思っていた。ただし、どうすれば直るのかは分からない。その不調のカセットデッキと全く同じ機種が出品されていたのである。即決価格が設定されていて、相場である。明晩がオークションの締め切りだが、万が一競争になると、即決価格を超えてしまう。今日のクーポンくじを引いたら1000円オフ券が当たった(と思ったのだが、なぜか間違いだったらしい)。これは千載一遇のチャンスだと思った私は、急遽、カセットデッキの分解に挑戦することにした。内部を見なければ、修理可能かどうか、全く分からない。
真夜中にやることか!? と思いつつ、分解し、動作不良の状態を内部から観察した。基本的にベルト駆動なので、ベルトの問題が多いのだが、そうではないようだった。音はするのだが、モーターが回転しないのが原因らしい。そして、過負荷を検出し、作動不良を起こす。素人だが、私の診断結果はそれだった。同時に、ヤフオクを落札する決断をした。
真夜中なのに、出品者がすぐ送料を知らせて来て、支払い手続きに進むことができた。ここでビックリ。1000円オフクーポン券が見つからない(笑)。止むを得ず300円オフクーポン券で手を打つことにした。
そんな馬鹿なことをやっていても、昨日より1時間早く就寝できたから、明朝は今朝より1時間早く起きられるに違いない。
10月12日(木)「以前のペースに戻したい・・・の風さん」
また起床が1時間早くなった。何とか以前のペースに戻したい。
10月になってやっと秋らしくなったので、これなら大丈夫と思い、今年リビングに設置したDCモータの扇風機を片付けた。羽根の部分を分解したが、意外と汚れていなかった。
キャメロンで外出し、JPからUFJ,JAと渡り歩いて、町の電器屋さんに行き、先日のエアコン工事代金を支払った。想定外の今年2台目で、しかも難工事だったので、かなりの金額になったが、職人さん2人がかりだったから、妥当なのだと思う。
帰宅し、卵かけご飯で昼食にしたが、早くも疲労感に襲われた。とりあえず昼寝(笑)。
夕方起き出して、英語の講演のタイトルに続くアブストラクトの作成に取り掛かった。今日は日本文まで。英訳は明日だな。
晩御飯後は、YouTubeとDVDを使った英会話の勉強、そして就寝前の読書と、以前のペースを実行してみた。
就寝もさらに1時間早くしたので、明日、以前の時刻に起床できれば、あとは執筆を復活させるだけだ。
10月13日(金)「落札したカセットデッキが到着・・・の風さん」
また少し起床時刻が早まった。日が短くなってきているし、この程度で復活としておこう。
朝食後、1階の洗面所に設置してあった縦型の扇風機を片付けた。寒くなってきたら、ここへはセンサータイプのセラミックヒーターを設置する。世間的にはヒートショック対策ということになるが、そもそも冬期はここは寒い(もちろん夏期は暑い)。合わせて、電子蚊取り器も片付けた。
書斎でルーチンを始めたころ、待望のカセットデッキが届いた。ヤフオクで落札したものだ。ちゃんと作動するかが問題で、慎重に開梱し、単体での動作確認をしたあと、外したカセットデッキの位置で、アンプ類と接続した。そして、カセットを入れて、アンプのボリュームを上げると、懐かしいストレオサウンドが室内に広がった。
初めて買ってもらったポータブルステレオは、LPレコードの再生だけで、音の迫力はまるでなかった。それでも、ブルーノートジャズのサウンドは、不思議な新鮮さがあった。中学時代のことだ。次は、大学時代で、さまざまな機種の組み合わせを楽しむのが流行していた。資金の乏しい私は、最初はステレオラジオカセットデッキでFMを楽しんでいたが、安いアンプとスピーカーを大学生協で購入し、最初は廊下に置いて聴いたのだが、初めてステレオサウンドの迫力に圧倒された。ジャズを中心にFMチェックをしてカセットに録音するという趣味が始まった。電波の状況が非常に良いところに住んでいたので、当時録音したカセットは今も健在である。
ステレオを復活させる次のステップは、CDレコーダーの修理(または復活)である。膨大なカセットを音楽CDに録音しておきたい。
昼食はおにぎり1個で、町の保健センターへ向かった。7回目の新型コロナワクチン接種を受けるためだ。6回目の副反応がたいしたことがなかったので、抗体がちゃんとできたか不安だった。それで、ワクチンメーカーを変更したのだ。
すべて無料で7回もワクチン接種ができたのはラッキーだった。新型コロナが消滅するまで、有料になっても続ける必要がある。インフルエンザと同じだ。
接種後、GSへ向かった。キャメロンに満タン給油しておいた。最近の単価では、佐久市が最も高くて183円/L、秋田は176円/Lだったが、今日は161円/Lだった。当地の単価は昔から安いので助かる。
帰宅し、久しぶりにワイフとコーヒータイムにした。おやつはおはぎ(春ならぼたもち)。そろそろウォーキングも復活できそうだ。
2日かけて推敲を加えた日本語のアブストラクトを、 BingAI と質疑を繰り返しながら英文化した。試しに、英文をGoogle翻訳で、日本語に翻訳してみたら、私の元の日本文とほぼ同じ文章が出てきたので驚いた。私の日本文が論理的なので、正確な英文が作成されたということだろう。例によって、ニュアンスの異なる単語や表現はないか、 BingAI と質疑を重ね、また新たな単語の意味を知ることができた。
完成した英文のアブストラクトは明日以降主催者(東大の教授)へ送るが、休日では失礼になるかな。
ワクチン接種した肩が痛いので、準備してあった痛み止めを服用した。微熱も出たので、解熱剤も服用した。今回は抗体がしっかりできそうだ。
10月14日(土)「頚椎症の再発・・・の風さん」
睡眠中に激しい頭痛で目が覚めた。脳障害ではない。この痛みには記憶がしっかり残っている。頚椎症の症状の一つなのである。肩の付近に気持ち悪い鈍痛が起きたこともある。この頭痛は頚椎症に間違いないと思う。現役時代だ。そのときは、セカンドオピニオンということで、別の整形外科へ行った。首をベルトで吊って伸ばすという処置がされ、期待したが効果はまったくなかった。結局、元のかかりつけに戻り、ロキソニンで痛みを和らげているうちに症状がおさまった。
午前4時だった。ベッドから抜け出て、階下へおり、ロキソニンを服用して、またベッドへ戻った。
起床後も痛みはなくならなかった。そして、痛みは首の付け根付近に移動していた。朝食後、またロキソニンを服用した。
それでも治らなかったので、昼食後には、もしかすると、持病の頭痛の程度が悪いだけかもしれないと、頭痛薬を服用した。
午後、日本数学協会の年次大会の講演を2つZOOMで聴いた。面白いテーマだったので申し込んでおいたのだ。しかし、首の付け根の痛みが不規則に発生して、苦痛のため、100%楽しめない。
夕方、コーヒータイムにしたが、ロキソニンも頭痛薬も既に2錠服用していたので、昨夜に続いて、ワクチン接種後の痛み止めを服用してみた。ワラにもすがる思いとはこのことだ。
このままでは何も仕事せず1日が終わってしまう、と焦り出した。
今日の最大の目標は執筆再開である。無理やりWord原稿を立ち上げて読み出した。勢いをつけるためだ。途中まで再読したところで、次にやるべきことが見えてきたが、首が痛くて続けられない。
ここで英語のアブストラクトを思い出し、あと一歩なので、これを仕上げて、東大の先生には失礼かもしれないが、とりあえず送信しておこうと思った。
晩御飯後も痛みが変わらず、ロキソニンを服用して、ベッドへ直行した。夜のルーチン、英会話の勉強が中断した。
ワクチン接種後の副反応など、どこかへ行ってしまった。
10月15日(日)「痛みに耐えながら・・・の風さん」
不思議とぐっすり眠れた。痛みに耐えていたことで、相当に疲労していたらしい。
痛みはまだ首の周辺でくすぶっている。トーストの朝食後、続けて、頭痛薬とロキソニンを服用した。まだ持病の頭痛ではないかと淡い期待がある。
ルーチンを何とか終え、インスタントラーメンの昼食後、いくらか痛みが和らいできた。チャンスとばかりに、シャワーを浴びてスッキリした。
まだ難しい仕事はできないので、郵送する準備をゆっくりおこなった。拙著を送る準備をした後、秋田での講演資料を送るため、PDFの作成に取り掛かったが、慣れていることでも、手こずった。いつ痛みがぶり返すか分からないので、そっちに神経が行って集中できないのだ。
夕方までにスマートレター2通の準備ができたので、徒歩で投函に行った。首の痛みも気になるが、歩かないと足腰が弱る。フレイル予備軍にはなりたくない。日没直後の団地内は、秋の気配が濃厚で、静かだし、ああ、秋に生まれた自分は、この季節が一番自分に合っているのだとしみじみ思う。そう。今日は誕生日だ。古希になった。膨大な過去を背負っているが、これからの人生、毎日がその初日だと思わなければならない。
ワイフは長女夫妻とソナポケのライブに行っているので、晩御飯はサラちゃんと一緒に食べた(と言っても、私もキャットフードを食べたわけではない)。ロキソニンは1日に2錠が処方なので、なるべく12時間経過したところで服用することにしているが、効き目はその前に切れてしまう。
和算研究会の仲間に、笠間見学を勧めたところ、複数の参加者が得られた。こうなると、私も同行しなければならない。キャメロンで行くのが前提だが、最低で2泊3日になる。初日に、来年講演させてもらう東大の研究所を訪問し、帰りに次女の家に寄って、新入りの猫(マンチカン)を見て来ることにした。こういった計画も、前向きな生き方の一つだろう。
そうと決めたら、宿の確保だ。ところが、ちょっとタイミングが悪く、定宿は満室。初めてのところ、なるべく安いところを2か所確保した。
その間に、英文アブストラクトが決着した。次は、講演資料の準備だ。
遅く帰って来たワイフを駅まで迎えに行き、それが終わると、あわただしく就寝モードに入った。昨日と同様に首が痛い。明日は、恒例の上部消化器内視鏡検査に行かねばならない。ああ、今日は執筆の続きができなかった。
10月16日(月)「ヒアリングのトレーニング・・・の風さん」
胃カメラをやってもらうのは、もう10年以上継続している。鎮静剤を使うのでキャメロンで往復できないのが難点だが、仕方ない。朝食は抜くが、ロキソニンは服用しておいた。帰宅までに頚椎症を発症したら、これは苦痛である。
駅まで送ってもらった。スマホの通信料消費も気になるので、機内モードにしておき、往復の車中では英語のヒアリングのトレーニングをするため、ワイヤレスイヤホンを持ってきた。かつて社会人学生として勉強を始めた時、英語の勉強に再び力を入れたが、その時のツール類がたくさん残っている。頑張ったことは間違いないが、思ったほどの成果は出なかった。今回はそのリベンジの英語での講演のため、同じような取り組みではいけないと思っているが、ポイントはより分析的にこだわりを持ってやることだろう。
そうこうしているうちに病院に着き、いつもの慣れた手順で診察から検査までたどり着いた。検査も終わって、安静室で目が覚めた。コールボタンを押すと看護師が来たが、まだ起きるのは早いからと、もう10分、と言われた。現役時代は爆睡することが多く、逆に看護師から「大丈夫ですか」と起こされたものだ。今は楽しているのだろう(笑)。今年は大腸の内視鏡検査も受ける。予約が混んでいて、だいぶ先になってしまった。
帰りの電車でもヒアリングのトレーニングができた。高速トレーニングが必要なことを再認識した。
帰宅してホットタイムにしたが、ロキソニンの効果は切れて、耐えがたい痛みになってきたので、またロキソニンを服用した。これで明朝までもつだろうか。
夕方起き出して、ルーチン後、昨日できなかった執筆の続きに取り掛かった。目の前の課題は相当に大きい。解決策が浮かばない。
明日は、ワイフを駅まで送るので、早めに就寝することにした。仕事がたまっているので、焦っている。
10月17日(火)「ガマンできず2件・・・の風さん」
朝食後、昨夜できなかった英語の発音の練習からスタートした。焦りの原因は複数ある。焦っている課題も複数あるから、とうぜん原因も多い。英会話の勉強が思ったほど進まないことも焦りの一つだ。それにしても、英語って、母音や子音が多すぎる。
1週間前になくなったドライバーズグラス、その後、見つかったという連絡もなかったので、とうとう諦めた。ジンズショップへ行き、処方箋通り同じ物をとリクエストしたけれど、フレームはもう製造終了していて在庫もないとのことだったので、似た物を勧めてもらった。これで、いつでも長距離ドライブに行ける。それにしてもボケ老人になると金がかかって仕方ない。社会に迷惑をかけているのと同じだろう。
昼食後、また首が痛くなってきたので、ロキソニンを服用した。こちらもガマンの限界だ。
キャメロンで外出。ホームセンターで買い物をしたが、やや多めに買ってしまったのは、首の痛みに対するイライラの裏返しだ。欲求不満の解消方法は人によってさまざまだが、私の場合の一つの選択肢は買い物。結局、ボケ老人の弊害と同じじゃん。社会のお荷物は消えるべきなのか。
続けて、かかりつけの整形外科医に行った。頚椎症で診てもらうのは何年ぶりだろう。先生もその間にお年をめされた(私より一つ下だが)。ロキソニンをたくさん処方してもらったが、明日、MRIで精密検査することになった。その結果によっては、新たな処方(リハビリとか)が提案されるかもしれない。
帰宅したが、ふと忘れ物に気が付いた。キャメロンに四つ葉マーク(高齢運転者の努力義務)をつけるのを忘れた。古希である。自らを戒めるためにも(何を?)、つけることにしたのだ。「わしはまだ大丈夫」それが危ない。早め早めに手を打つしかない。本当のボケ老人になってからでは遅いのだ。
昼食時に服用したロキソニンの効果が早くも切れてきた。医師の処方は1日3回に増えたので(売薬の指示は1日2回)、寝ている間に痛みで目が覚めないようにするためには、就寝前に服用するのがいい。しかし、今からその時間まではとても耐えられない(仕事ができないという意味)。なので、さっさと処方薬を開封して服用した。次は就寝前だ。
だんだん就寝時刻になっていったが、仕事がまったくはかどらない。こういう時は徹夜を覚悟する。
しかし、結局、午前3時半には就寝した。明日こそは。
10月18日(水)「精密検査の結果・・・の風さん」
起きるころには首が痛くなっている。ロキソニンは8時間効いてほしいが、どうも6時間が限度のようだ。
ルーチンと雑務を一つ(これがけっこう大変だったが)こなし、またかかりつけの整形外科へ行った。
予約してあるMRIを終えてから医師の診察を受けた。11年前のMRIの画像と比較してみると、問題があるのは当然同じ部位で、特に悪化しているわけではなかった。悪化していたら、新たな処方(薬やリハビリ)が必要になるので、それを恐れていたのだが、そうでなかったのはラッキーだった。
同時に、今回の再発の原因もほぼ特定できた。私の推定通りで、新型コロナワクチン接種後の腕の痛みをかばうために、いつもと違う姿勢で寝ていたため、問題のある頸椎にストレスがかかったのである。やはりMRIの威力は大きい。
こうなったらもうやることは以前と同じだ。ロキソニンで痛みを緩和しつつ、頸椎にストレスのかからない姿勢を心掛け、徐々に体の姿勢を整えていくのである。医師から追加の投薬や電気治療、首の求引などを提案されたが、それらはすべて辞退した。
帰宅し、今日2回目のロキソニンを服用し、仕事に復帰した。
晩御飯後は、疲労がどっと出て来て、難しいことができなくなった。メールを送ったりして、たまっている仕事を減らすのが精いっぱいだった。
10月19日(木)「急に解決し始めた・・・の風さん」
ロキソニンを服用するペースが安定してきて、頚椎症をなだめながら仕事もできるようになっている。
岩手県和算研究会会長の秋田訪問の段取り調整もヤマ場になった。古四王神社の方は最低限のラインは確保できているので、あと住吉神社の方をどうするかだった。同級生からの助言では、今度の週末は由利本荘市はイベントが多く、サポート体制も難しいとのことだったので、それなしでやれるか、最後の確認が必要だった。
住吉神社に直接電話したら、宮司さんは私のことをすぐ思い出してくれた。お願いして算額を見せていただいたのは9年前である。しかし、9年間で算額は劣化が進行しているので、写真撮影はやめてほしいとのことだった。さらに、地元の文化財保護団体の会長に電話すると、算額の保護に関して強い希望を持っていることが分かり、今回の岩手県和算研究会会長は、そういったことに関して多くの知見を持っているはずだと説明した。
結局、立会人を保護団体会長から推薦してもらい、その人に電話して了解もとり、岩手県和算研究会会長の見学が実施できることになった。
こういったことができた一番の理由は、中学時代の同級生が作ってくれた私と地元の縁である。人と人とのつながりが、ありがたいことに信用を生み、難しいお願いを受け入れてくれたのである。
この週末の調査が無事に終われるように、最後の最後までサポートしたい。
夕方、ワイフと墓参に行った。秋らしいさわやかな気候の中で、何となく心が軽く感じられた。
墓参の往復の車中で、児童書の執筆で引っかかっていたことに、アイデアがひらめいた。うまく行くときは、何でも、こういうものだろう。
晩御飯後も疲労でダウンすることなく、執筆を続けることができた。
明日は明日でまた大きなミッション(今後の我が家の生計に関すること)があるが、そのことについても、方針というか決心することができたので、あとはやるだけだ。
10月20日(金)「これまでの生計と英会話の振り返り・・・の風さん」
今日は午後から天気が下り坂なので、外回りの仕事は午前中にやってしまおうと思った。
キャメロンで出動。地元の酒蔵へ行き、来月の旅のお土産を購入した。次に、前もって考えた手順通りに行動した(ボケ老人には必要な前準備だ)。UFJのATMへ行き、次にJAのATM、再びUFJのATMに行って、キャッシュの移動と引き出しを完了。雨が降る前に帰宅できた。
昼食後、退社以降10年分の通帳の記録の総点検。古希を迎え(ということより年金が減っていくので)、今後の生計を考える上で、過去を振り返るのは重要なことだ。アリとキリギリスで言えば、キリギリスのような生き方をしてきてしまったため、長期計画を立てないでここまできて大いに反省している。しかし、今さら取り戻せることではない。そこで、今日やっと過去の振り返りをしてみたわけだ。
その結果、恐ろしいことに、これからはゼロベースでのスタート、余裕のほとんどない生計が目の前に浮かんだ。現実である。はたしてうまく行くか分からないが、稼ぐために頑張るしかない。
そこまで分かったことで、一気に疲労感が襲ってきたので、昼寝(ふて寝ではない)することにした(笑)。
日没後に起き出したが、あまり元気は出ない。そうだろう、現実に打ちのめされたのだから。
晩御飯前にワイフに報告した。過去の振り返りと今後についてだ。過去の振り返りは事実だからどうしようもない。今後のことについては、決意表明すればいいので、「これまで通りで行く」と虚勢を張った(笑)。
そこまでで大仕事を終えた気分になり、あとは英会話の勉強に時間を使った。
毎回新たな気付きがあるが、今日も面白い発見があった。英語は音声系言語であり、やはり発音が大事。単語と発音はほとんど1対1で、日本語のように同じ発音でも漢字表記の違う単語がいくつも出てくることはまれ。だから、英単語は正しい発音(日本語のカタカナ表記ではだめ)とセットで覚える必要がある。そして、文章になって読まれると、発音の変化が起こる。そのパターンを覚える必要もあるということだ。こういったことは、知らなかったわけではない。しかし、その分量を小さく見積もり過ぎていたのである。おお、収穫、収穫。やるべきことがより明確になってきた。
10月21日(土)「予定外の行動・・・の風さん」
ひたすら前を見て、1ミリでも前進するべく日々を過ごしているが、自分にできないことで気になることは当然ある。そういうことは、ここにはめったに書かない。気にしてもどうしようもないが、年に1回だけ、ささやかな寄付をすることで、非力な自分を慰めている。では、気になることとは何か。詳細は今日も書かない。国際情勢だ。
近年、気になった項目だけ列記すれば、香港、ミャンマー、ウクライナ、アフガンそしてパレスチナ。日本もいつ大きな問題が起きるか分からない。懸念は戦争だ。平和外交よりも軍事力強化に重心を移している今はその危険が増している。長い歴史の中でとらえれば、たとえば戦争に踏み込まなかった平成時代は、奇跡的な一瞬だったろう。大義名分さえできれば、いつでも戦争に踏み出す。暴力が手段に使われるのだ。
ワイフと昼食後、俗物の私は、気になるオーディオ機器の分解に取り掛かった。まったくの予定外だが、先日カセットデッキを分解してひとつの結論を出した。自分で直せないと判断して、修理代相当の金額で中古機を購入したのだ。その結果に満足していた。だから、もう1台のオーディオ機器についてもすぐに結論が出ると思ったのだ。
手こずったが分解はできた。カセットデッキと似ていて、ベルト駆動の問題ではなく、モーターが回転しないのである。ギヤは手で回すとスムーズに回転する。自分で直せないことが判明したので、修理代相当で中古機を購入できるかが次の判断だった。やや高額だったが、1台発見した。入手して、前回と同様に稼働すれば、自分として満足できるレベルだった。発注した。
予定外のことをしてしまったので、今日予定していた特殊雑務は明日以降の延期して、執筆の続きをやることにした。突破口を見つけた、児童書の修正の続きだ。
日没後、恒例の長女の里帰り(ではなくサラちゃんの調教)があったが、今回は、私の誕生日祝いも持参してくれた。プレゼントされたお洒落な上着は、来月の旅行に来ていくことにした。
晩御飯の時にビールを飲んでしまったので、酔い覚ましのため、Amazonprimevideoで30年近い昔の「ミッションインポッシブル」を観た。トム・クルーズが若い(笑)。字幕で観たが、英語の聞き取りがもっとできれば楽しいだろうなあ、と思う。
10月22日(日)「多忙過ぎて頭が爆発寸前か・・・の風さん」
今朝の新聞を開いたら、日曜日恒例の書評コーナーに、たからしげるさんが写真付きで出ていた。かつては、兼業作家であり、私のありがたい応援者でもあった方だ。書きためたショートショートが新刊になったとのことで、あいかわらずのご活躍に敬意を表したい。
岩手県和算研究会会長の昨日の調査は、無事に終わり、資料館へも案内してもらえたと満足されていた。同行できなかったが、成果があったようで私もうれしかった。今日も、調査が続くが、こちらもうまく行ってほしい。
一方、来月初めのもう一つの企画である。なかなか具体的なスケジュールが決まらないため、こちらで案を作ることにした。現地へ電話し、事情を話して相談したところ、提案してもらえることになった。現地の人でも、今年の混雑予想では、かなり難しいらしい。
英会話の新しいDVDを視聴した。これも今までやったことのない勉強法が録画されている。オーラルに特化した訓練をするために、やるべきことは多いが、その具体的な内容がどんどん明らかになってくる。
ロキソニンの服用サイクルが安定してきて、痛みが出る前に服用できるようになってきた。この状態を維持していけば、元のように日常生活が送れるようになるだろう。しかし、新型コロナワクチン接種後から始まった頚椎症なので、ワクチンの副反応を実感しているヒマがなかった。外国の論文では、副反応がある人ほど、できた抗体の量は多く、また死亡率も低いそうだから、副反応の確認は重要だった。明後日は、インフルエンザのワクチン接種を予定しているので、こちらはどうなるだろうか。
昨日に続いて、児童書の執筆(修正)に取り組んだ。何とか、大きな課題を克服できそうな状況になってきた。
こうなると、月末締め切りのエッセイ原稿が気になって来た。1〜2日でできる内容ではないので、遅くとも明日から着手したい。
長女を名古屋へ送りがてら、初めてのレストラン(チェーン店ではあるが、店舗としては初めて行った)で晩御飯を食べた。新型コロナのために、あまりレストランへは出かけていないが、中でもしっかりした食事という点で、今夜は実に久しぶりだった。思い切って肉料理を注文し、空白の3年間をしみじみと思い出す。しかし、世界的には、新型コロナだけでなく、次々に大事件とくに戦争や紛争が発生しているわけで、心からゆったりできることはもうないのかもしれない。
帰宅し、ワイフに2階の洗面所下の劣化部分を見せた。ワイフいわく、根本対策が絶対必要。やれやれ。また大きな出費が発生しそうだ。
10月23日(月)「人間らしさとは・・・の風さん」
頚椎症の痛みが発生しないうちに起床できた。ロキソニンの服用サイクルがいよいよ安定した感じがする。
夕方、名古屋の眼科へ電車で行くので、出発までの活動時間が制限されている。なるべくよけいなことはしないし、できないと言ってもいい。
結局、それほど頭脳を使わなくてもいいルーチンと雑務をこなしていった。それらの中でも、岩手県和算研究会会長の秋田遊歴の旅の成果の確認は重要だった。3本の電話をかけて確認は終わった。3本のうちの1本は、初めて FaceTime 通話を使った。自宅からかけるなら、Wi-Fi環境になるので、データ通信料も気にしなくていい。ただし、相手がWi-Fi環境にいないと相手はその料金がかかるらしい。そうでなくても、4Gや5Gの契約プランの範囲内なら問題ないのだが。ここ数日、LINEも意識せず電話をかけまくったので、次回の料金請求がやばいかもしれない。
ということで、自宅を出発する2時半になってしまった。
先週の電車での移動と同様に、ワイヤレスイヤホンで英会話の勉強をした。
今日は、検査があった。やや疲れる検査だ。何度も受けているので、結果が悪化しているのが予想できた。そのとおりで、診察時に、色々な注意があり、1週間後にまた別の医師の診察を受けることになった。手術を受けることになるかもしれない。それで症状が緩和するなら、私は躊躇しない。
すっかり日が短くなったので、最寄りの駅を降りたときにはもう夜の世界だ。目の前を若い女性が同じ方向に歩いていた。やがて人家もない道になった。私は相手に恐怖を感じさせないように、ゆっくり歩いて、次第に距離をあけていった。しかし、もし怪しいやつが現れて、彼女が襲われるようなことがあったら、自分を犠牲にして助ける決意だけはしていた。年寄りよりも若い人の命の方が断然たいせつだ。ところが、道は上り坂になり、万が一のことがあっても、すぐ走ってかけつけるのが無理になってしまった(苦笑)。こういう状況を見ても、年寄りは役に立たない。情けない。
晩御飯後は、ワイフと暗い話題になってしまい、仕事もはかどらなかった。必死に前を向いて生きようと思うが、暗い話題しかないと、自分はもうこの世で必要とされていないという気分になる。それは事実だが、事実を事実と認識していても、懸命に生きるのが人間らしさだと思う。
10月24日(火)「今度はインフルのワクチン接種・・・の風さん」
頚椎症の痛みが出ない状態が続いている。このまま通常の生活に戻れるかもしれない。とりあえずストレッチは少しだけにしている。
午前中に少しだけ仕事をして、キャメロンで外出。今日は当初スケジュールの、インフルエンザのワクチン接種だ。インターネットでかかりつけのクリニックを指定して予約した。事前の診察は整形外科医がやってくれたので、頚椎症の痛みが抑制されていることを報告して終わってしまった(笑)。もちろん医師からは「接種OK」と口頭で指示は出た。すぐに看護師がやってきて、「痛いですよ」と言いながら接種してくれた。確かに筋肉駐車の新型コロナよりも痛かった。これは皮下注射のため、薬液の刺激で痛いのだ。血液検査の静脈に針を刺すのとも違う痛さだ。痛みに対する忍耐力はそこそこあるので平気だ。しかし、内視鏡やジェットコースターの苦痛に対してはからきし弱い。
恒例のドラッグストアでのまとめ買いをして帰宅した。
このあと、やけに時間を使ってしまったことがあった。送金手数料をタダにしたくて、iPhoneにゆうちょ通帳アプリ、ゆうちょ認証アプリをインストールし、さらにゆうちょダイレクトによる送金の限度額アップを申し込んだ。パスワードやパスコード、お客様番号など、管理すべき記号が乱れ飛び、ボケ老人はその都度、自分のメモ(PC内)へ追記していった。
膨大な時間を使ったが、送金の限度額アップは審査になったので、肝心の送金は始められなかった。
英会話の勉強は、習慣のように続けられている。
児童書の執筆(修正)は、わずかしか進まなかった。アイデア(発想)が必要になったからだ。
月末締め切りのエッセイ原稿を書くために、何を主張点にするか考えた。やはり自分の人生に言及する必要がありそうだった。
明日は早起きが必要なので、早めに就寝モードに入った。
10月25日(水)「勉強の成果なし?・・・の風さん」
7時起床。老人モードやないかい? 否。総合病院の診察の早い順番を獲得するためだ。8時10分からの受付開始の前に、番号札をゲットしなければならない。14番をゲットできた。さらに紹介状をもらっているので、その手続きも済ませて、診療科の外来受付へ行くと、10時からの診察グループに入れたので、いったん帰宅した。
トーストの朝食を摂り、少しだけ雑務をしてから、再度キャメロンで出発。10時前に診察順番が来て、主治医と面談。紹介状の回答も出してくれるという。薬の処方もなく、色々なアドバイスを受けて、11時前に帰宅できた。田舎住まいのメリットを今日は満喫できた(笑)。
ルーチンの後、ワイフと昼食。明日は、2階の洗面所の下の問題をチェックするため、住宅会社が来ることになった。やれやれ、忙しい。次々に突発のミッションが出てくる。
このところずっとメルカリ出品はしてなかったが、今日、一つ、売れた。突発のミッション開始。売れたのはCD付きの本だ。慣れてはいるが、ていねいに梱包しないと、思わぬトラブルが起きる。それを持ってまたキャメロンで外出。コンビニからネコポスで発送した。純利益は60円にしかならないが、身辺整理の一環なので、気持ち的にはスッキリ感がある。
英会話の勉強は最低限のノルマをこなしたので、児童書の執筆の続きに取り組んだ。昨日ぶつかった壁を何とか突破できた。
次は、エッセイ原稿に取り組もうと思ったが、さすがに疲れている。途中まで観ていたなつかしい映画をAmazonprimeで観た。「シックスセンス」である。結末は覚えているが、途中はほとんど忘れていた。低い声の会話がまったく聞き取れない。だめだ〜。
10月26日(木)「洗面所下の問題解明・・・の風さん」
昨日の影響で早朝に目が覚めた。二度寝できるのではないかと思ったが、まもなく起床モードに入っていることが分かったので、起きることにした(笑)。やはり老人モードか。
朝が早い場合は、朝食を摂る。なので、トーストを食べた。続けて、ルーチンをこなすことに……。
そのルーチンをすばやくこなすことができないのも老人モードか。午後1時に住宅会社がやって来る。2階の洗面所の下の点検が目的だ。原因究明を主張するワイフに配慮してこうなった。その来宅時刻が迫ったので、待ち受けモードに入った。昼食はパスだ。それにしても、モードという単語ばかり使っている。語彙が減ったのではなく、これも老人モードかも(泣)。また、モードを使ってしまった。
ワイフは教室に専念中なので、私が対応する。相手は、私が退社するころからの長い付き合いだ。純粋な営業マンではなく、多くの資格を保有するスペシャリストである。早速、2階に出動してもらった。私は、ポータブルライトで明るくしたり、家の図面を用意したりして、サポートした。スペシャリストは、1階のユニットバスの天井にある点検口から、内部の観察もした。
診断結果が出たので、ワイフを呼んで説明してもらった。2階の洗面所の下の腐食部分は、過去の水漏れの遺物で、現在は進行状態になさそうだった。配管に異常がないか調べるためには、腐食部分をくりぬいて内部を点検する。さらに1階につながっている部分を調べるなら、1階の洗面所の天井をくりぬいて内部を点検する。このままでも問題なさそうなので、あえて点検するかはオーナーの判断とのことだった。
この診断結果の本質は、私の見立てと同じだった。ただ、具体性という点で、スペシャリストの診断結果は説得力があった。
原因追求のためなら、ワイフはくりぬくことはいとわないだろう。しかし、現状のままでも問題は深刻化しないだろうというのがポイントになった。
スペシャリストは、におい対策なら、配管まわりをふさげばよいし、ご主人(私のこと)でもできる、と太鼓判を捺してくれた。
こういった発言が決め手となって、ワイフの主張は引っ込んだ(笑)。あとは、その対策工事を私がいつかやるだけだ。
夕方、横になって休憩したあとは、数日前に発注したオーディオ機器が今日届いたので、開梱し、配線接続をした。ドキドキしながら電源を入れて、CDのトレイが動作するか確認した。OKだった。これでコンポステレオがそろった。
夜は、児童書とエッセイの執筆に取り組んだ。
10月27日(金)「地球最後の日?・・・の風さん」
今朝も早起き。ワイフを駅まで送った。1日たっぷりあるので、仕事がたくさんできるぞ、とその時は思った(が、いつもあとで障害が発生してしまう)。
ルーチンと簡単な雑務を粛々と続けていく。うん。いい調子だ。この分なら、午後からは執筆に時間をたっぷりかけられるだろう。
昼食後、ちょっと疲れを感じたので横になってみた。そのまま寝てしまった・・・わけではない。眠るほどではなく体を休めたかっただけだ。寝そべったままスマホを開いたら、YouTubeで知人の顔が出た! 講演会があるのは知っていたが、見る予定ではなかった。ところが、ZOOMだけでなく、YouTubeでもLIVE配信されていたのである。スマホで聴講するよりPCでちゃんと、と思って体を起こし(休養は中止だ)、書斎へ行った。
YouTubeのLIVE配信よりZOOMの方がしっかり聴講できるだろうと、さっと手続きをして切り替えたが、環境はまるで変らなかった(笑)。最初は聴いていてつまらなかった。ところが、次第に最新の情報が出てきた。
今の科学技術は進展が早く、研究成果がすぐ世の中に実装され、しかも専門家でない人々が使い始めてしまう。AIを例に考えれば、誰でも納得するだろう。かつては、最新の科学技術がはらんでいる問題は、だいぶ時間差をおいて顕在化した。例えば公害や地球環境問題だ。現代は問題の顕在化が以前よりも早く起きる恐れがある。だから、最新の科学技術の研究は、初期段階から、専門領域以外のメンバーを入れて、どのような問題が起きるかリスクマネジメントを同時に始めなければならない・・・。
約1時間の講演を夢中で聴いてしまい、もはや休養の時間をとる余裕はなくなってしまった。
10月になって、すっかり秋めいてきて、さすがに風呂を沸かすようになったので、今日から風呂釜掃除を復活させた。最後に、風呂掃除もおこなった。やれやれ。忙しい風さんだ。
日没近くなったら、とつぜん空の様子がおかしくなった。妖しい色の黒雲が西から流れて来て、雷光が走る。風も出て、まもなく屋根を連打する変な音が・・・。雹(ひょう)が降って来た!
地球最後の日が近いかと思われるような空の下、ワイフを駅まで迎えに行った。やはりかつての科学技術の進歩が今ごろになって人間生活に大きな影響を及ぼしているのだ。
やがて天気は回復し、夜は、執筆に専念することができた。エッセイ原稿が進んだ。
10月28日(土)「こんな時に花粉症・・・の風さん」
昨日から症状がひどくなってきた花粉症が、朝からひどい。くしゃみと鼻水だ。ようやくロキソニンの服用を減らせそうになったのに、今度は花粉症か! ワイフの教室に来ている生徒さんの話では、今はブタクサだそうだ。
急に秋めいてきて、裏の駐車場の草刈りをしなくなった。雑草が伸びなくなったせいだが、生えている草がだんだん変わっている。ブタクサの画像をネットで見たら、ぎょぎょ、今生えているやつ、ブタクサじゃないか!?
医者からもらったアレグラが余っていたので、昨夜から飲み始めたが、まったく効かない。マスクをしても手遅れだった。怒り狂って、午後、抗ヒスタミン剤を服用した(このカプセルは絶対に効くが、副作用でぐったりしてしまう恐れも高い)。
夕方まで、ルーチンと軽い雑務をたらたらとこなした。さらに、薬が効くまでと思い、Amazonprimeで映画を観た。デンゼル・ワシントンの「イコライザー2」。1を観たことがあるので2をと思ったのだが、これも観ていた。しかし、途中のストーリーを忘れているし、英会話の勉強の効果も確認したかったので、続けて観た。ストーリーは実によくできている。メインのストーリーとともにサブのストーリーが並行して進行する。メインと直接からまなくても、主人公の人間を重層的、多次元的に描くことができ、しかも矛盾がない。これは勉強になった。ヒアリング力の確認は芳しい結果でなかった。ただ、contingency plan という言葉は聞き取れて、意味をあらためて確認できた。想定外の事態に対して計画を作っておくことだ。リスクマネジメントであり、AプランがだめならBプランというのがこれだが、ビジネスの世界ではCプランも用意しておく。
はたして日没後花粉症の症状がおさまった。爽快な気分。
午前1時近くまでかかったが、エッセイ原稿がほぼ完成した。明日の夜にはメール添付で送れそうだ。
10月29日(日)「エッセイ原稿が完成・・・の風さん」
何か妙な夢を見ているうちに目が覚めて起床。妙な夢とは現実というか事実と近いという意味で、会社で仲間と仕事をしていたりする。過去の世界に戻って今も仕事をしている気になるという妙な夢だ。そもそも全力で活動していれば、疲れ切っていて夢など見ない。そういう人だ。それが夢を見るということは、なまけている、さぼっている、手を抜いているということだろう。
とりあえずストレッチは軽く終えて、ルーチンと雑務をこなした。
ワイフは予定を変更して教室がないので、昼食を一緒に食べた。それでも、お互いに忙しい。
昨日今日と町の文化祭である。ほぼ毎年見に行くのだが、今年はその余裕がない。ワイフの教室の出展はなく、12月の教室展に全力を注入している。ただし、ワイフは、一瞬、体育館まで文化祭の展示を見に行ってきた。聞くと、出展も観客も少なく感じ、寂しい感じだったという。行政は予算内で終わるとホッとしがちだが、民間はいかに盛り上がったか(出展や観客の多さ)を判断尺度にする。
昨日まで書き続けてきたエッセイ原稿の続きに取り掛かった。ここまで来れば、もう完成度を上げていくだけなので、気が楽だ。しかし、完成度はくせもので、プロだということと、理想や完璧を追いがちな性格が災いする。
結局、べらぼうに時間をかけてしまった。何とかメール添付で原稿と挿入用の写真候補を送った。
晩御飯後は疲れてしまい、もう何もできなかった。
10月30日(月)「がむしゃらにやれども・・・の風さん」
頚椎症が安定化し、花粉症も何とかおさまっていて、昨夜エッセイ原稿を送付したので、今日は相当に仕事がやれるぞ、と思いつつも、これまで先延ばしにしてきた雑務がたくさんあるので、児童書の執筆や来月の講演準備までたどり着けるか楽観はできない。
とにかく元気なうちに片っ端からたまっている雑務を処理していく。
ワイフが新型コロナワクチン接種に出かけたあと、私もキャメロンで外出した。近くの酒蔵で、今日行かないと、明日から二日間は定休日になってしまう。お世話になった知人へお礼のために日本酒を送った。
ETCカードが変わった。運営会社が変わり、旧カードは明日が使用できる最終日で、明後日からは新カードである。マイレージを引き継ぐためには、Websiteで変更手続きをやらねければならない。今夜零時を過ぎて、31日になった時点で手続きをし、新カードが使えるようになる11月1日にその確認を実際に有料道を走ってするつもりだ。何しろまた2日から3泊4日の旅に出るのである。
その手続きの前に、今年のETC走行利用証明書をすべて印刷しておいた。利用証明のWebsiteでのカード変更手続きには、新カードを使用した最初に日にちを入力する必要がある。つまり、11月1日に確認をしてからおこなうことになる。やれやれ。
秋田での講演時の写真を送ってもらっていたが、今日やっと開いて確認した。フェイスブックが秋田に到着した日を最後に更新されていないので、とりあえずこの写真を何枚か利用して、秋田の旅を完結させねばならない・・・が、今日はそこまでできなかった。
今日も1日、頚椎症も花粉症も発症することなく(薬は服用中)過ごせた。やはり健康でないと生きる資格はないな。健康でも老化が進んでいてはダメだが。それでも、児童書の執筆や来月の講演の準備まで手が回らなかった。うーん、どこまで行ってもピンチから脱出できない。
10月31日(火)「眼科治療の方針決定・・・の風さん」
義父が亡くなってからやるべきことは多く、今日もワイフは朝から実家へ出かけて行った。司法書士との相談があるそうだ。
どれだけできるか分からないが、私もやることが多い。早速取り掛かったのが、センサーライトの製作だ。以前作った自信作をお世話になった方が欲しいと言われたので、お土産にしようと準備した。裏の土地から現物を持ってきて、玄関でそれを見ながら作った。ネジ類は、できる限り、自宅にあるものを使いたいので、これが一番工夫の要るところだったりする(笑)。
できれば1時間で終えたかった。しかし、2時間くらいかかり、最後は、太陽電池の充電のため車庫の上に置いた。作動確認は今夜だ。
クロワッサンとコーヒーで昼食をさっと終え、ルーチンと英会話の勉強をした。
今日は眼科へ行く日である。途中駅までキャメロンで行き、そこから電車と地下鉄で往復する。
今日は、特に指定された医師の診察を受けた。先週もらった目薬は残念ながら効果がなく、やはり手術ということになった。覚悟はしていた。意外だったのは、手術法だった。やや進行している白内障手術と同時におこなうとやりやすいのである。具体的な説明を聞いて、技術者としては簡単に納得できた。俗に言う理にかなった方法なのである。今日も検査をいくつかしたが、最終的な手術前の検査をしっかりやるための日と、来年になるが、手術日を決定することになった。ヒマなボケ老人ではあるが、ポツポツとスケジュールが入っている。その合間をぬってやらねばならない。意外とそれがむずかしかった。ややリスキーなスケジュールになったが、病気を治すためだ。
帰宅は遅くなった。ワイフも帰って来たばかりのようで、すぐ晩御飯になった。司法書士との相談内容には驚いた。いくらか財産があり、貴族が多いと、法律上うるさいのである。私の両親の場合は、相続すべき財産がほとんどなかった。そして、兄がすべてやってくれたので、検討すべきことはほとんどなかったのである。ということは、私が死んだ場合、今回の義父と同じことが起きる。前もって準備すべきことは、後顧の憂いを少しでも減らしておくことだ。
製作したセンサーライトは正常に動作した。さすが!と自らを褒めた(笑)。
また時間切れになってきたので、気になっている雑務を処理して、残りはすべて明日やろうと決めた。明日は3泊4日の旅の出発前日である。
2023年11月はここ
気まぐれ日記のトップへ戻る